イタリア言の葉

2年半ぶりに再開しました。イタリア生活22年のフリー通訳・翻訳者が北東の町パドバより発信する「社会派」ブログ

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人種差別と区別や偏見は別物

ブログランキングでご一緒しているローマ在住の方のブログやそこに寄せられたコメントを読んでいて、前から書きたいと思っていたので、少し重たいテーマですが思い切ってトライしてみます。

イタリアに住んで差別された経験があるか、というテーマなのですが、私は自信を持ってないと答えます。但しこれには少し説明が必要です。

私が差別された経験がない、と言うのは私が差別と区別や偏見は全く別のものだ、と考えるからです。

差別と言うからには、人前で面と向かって「汚らわしい日本人め!」とののしられるとか、イタリア人に比較して明らかに圧倒的に不利な扱いを受けた、ぐらいの経験が必要だと思うからです。

私がこう考えるのには以前アフロアメリカンの女性と一緒に働いた経験がもとになっています。彼女はイタリア人の男性と結婚していて、イタリア生活も長く、アメリカ人にしては珍しく(アクセントはかなり強く残っていましたが)イタリア語に堪能でした。

ホイットニー・ヒューストン似のスタイル抜群の美人で、いつもセンスの良い服に多すぎるぐらいのゴールドのアクセサリーを身に付け、ゴージャスな雰囲気を漂わせていました。

彼女がイタリア人の男性と結婚したとき(今から30年ぐらい前)、故郷のニューオーリンズではローカル新聞の記事になったそうで、私もそのコピーを見せてもらいました。彼女の故郷ではアフロアメリカンと結婚するホワイトはニュースになるぐらい少なかった、ということなのでしょう。

私達が働いていたのはヴェネチアでしたが、一度帰りに一緒に乗った水上バスが混み合っていたため、座っているおばあさんの膝頭に彼女がちょっと触れてしまったことがありました。おばあさんはさも嫌そうにさっと膝をどかしました。明らかに彼女の肌が黒い為の反応です。

彼女の子ども時代、クラスメートのうちに遊びにいけなかった話も聞きました。イタリアに来てからも、観光中に憲兵に身分証明書を見せるように言われたことがあるそうですし、列車は(移民と間違えられないよう)必ずファーストクラスに乗る、と言っていました。

一度5歳くらいの男の子が彼女を見て「Mamma! C’è una negra(マンマ、黒人だ)!」と言ってしまったことがありました。その子の両親は穴があったら入りたい、という風情で彼女に丁寧に謝ったのに、彼女は「子どもは幼いので許せますが、こういう発言をするのはあなた方の教育が偏見に満ちているからです。」と言いました。

私から見ると過剰反応と思えるのですが、生まれてからずっと不当に差別されてきた彼女には、日本で日本人として育った私には理解できないほどの痛みの歴史があるのでしょう。

というわけで、イタリアに来てお店の買い物の順番を飛ばされる、とか道で「Cinese(中国人)!」とからかわれるぐらいで差別といったら、マーティン・ルーサー・キング牧師にしかられます。

イタリアの役所での対応、というのも感じが悪いことが多いのですが、これは窓口にいる人の人柄の問題で、私がアジア人だということと直接関係がないことが多いように思います。

私の夫は生粋のイタリア人ですが、南の出身でアクセントが違うためか、息子の小学校の入学願書をとりに行って窓口の人に「あなた外国人なら滞在許可書を見せなさい。」と居丈高に扱われた、と怒っていました。

他のアジア人と混同されることもイタリア在住者の嫌がることの一つです。私など掃除中に来たセールスマンに「奥さんはご在宅ですか?」と、はなからフィリピン人のメイドとしてあつかわれたり、子どもを連れていると外国人のベビーシッターに間違われたりします。

一度など、うちの子が薄着すぎると道で見知らぬおばあさんに怒られた事すらあります。「この子のお母さんに言いつけますよ!」と言っていたので、私を無能なベビーシッターと思ったようです。子どもを見ればアジア人の血が入っているとわかるでしょう、と思うのですが・・・・

こういうエピソードはいちいち気にせず、笑い話としてイタリア人に披露して一緒に笑い飛ばすに限ります。メイドと間違えられた話は特に好評で、誰もがおなかを抱えて笑ってくれます。

差別と言うと私の頭に浮かぶのは、昔のイタリア語教師が自分の体験談として話してくれたあるエピソードです。

イタリア語教師がスイスで市電に乗っていたときの話です。アフリカ人の若者の隣に座って「貧しい国からやってきて自分達の税金で遊び暮らす移民」についてかなりしつこく、聞こえよがしにブツクサ文句を言っていたおばあさんがいたそうです。(その教師は当然ドイツ語がぺらぺらだったのですね)

途中でチケットの検札が近づいていたのですが、そのおばあさんが手に持っていたチケットを良いタイミングで若者がさっとひったくって食べてしまったとか。

検札官がやってきたとき、おばあさんはしどろもどろに「自分のチケットは隣の黒ん坊が食べてしまった・・・」と説明したのですが、もちろんそんなばかげた話は信じてもらえず、おばあさんは無賃乗車で罰金を取られたそうです。

その若者の澄ました顔が目に浮かぶようではありませんか。

他国に移り住んだ以上嫌な思いをすることも当然あります。そこでへこたれず、かといってアグレッシブにならず、この若者のようにスマートに対応したいものだと思います。偏見に打ち勝つにはユーモア感覚を忘れないことが何よりです。

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Curiosita (気になること) | permalink | comments(1) | trackbacks(0)

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この記事に対するコメント

日本人が韓国人に向かって朝鮮人って言ったら差別。
イタリアでイタリア人が日本人に向かって、冷やかしで中国人といってもやはりそれは差別でしょう。
不快な思いをするわけですから。
774 | 2016/10/20 10:26 AM
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