イタリア言の葉

2年半ぶりに再開しました。イタリア生活22年のフリー通訳・翻訳者が北東の町パドバより発信する「社会派」ブログ

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ヒポクラテスの誓い

このところイタリアの公立病院にまつわるスキャンダルが目立ちます。前々から同じようなエピソードはあったのでしょうが、ここへ来て一気に噴出した感じ。

北部や中部に比べて遅れが目立つ南部の病院だけではなく、ローマの伝統ある大病院でも、衛生基準に反する不潔な環境や下級職員が窃盗行為を働いていたなど、スキャンダルで大揺れに揺れました。

ここへ来てまた一つ、トリノ市近郊の救急救命センターで、信じられないようなエピソードが持ち上がりました。

心臓に持病を持つ69歳の男性が、バス旅行中に気分が悪くなりました。救急車が到着しないのに、容態が悪化するのを見たバス運転手は、自分で救急救命センターまで運ぼうと判断しました。

センター前に到着したものの、医師が持ち場を離れて外の患者を運ぶ込むことは規定に反するとして、車椅子を外に出し患者を中に運び入れるよう指示したそうです。

呼びされた地点に患者を見つけられず追跡してきた救急車が、やっとセンター前に到着し救命措置をほどこしたときは既に手遅れ。結局この男性はセンター内に入らないまま死亡しました。救急車が呼びだしに応じてからセンター前に到着するまで16分。

救急救命センターに到着していたにもかかわらず、中に入れず措置を受けるまで数分よけいにかかったため命を落としてしまったこのケースは、これまでも繰り返し起きた、医療ミスや病院制度の不備が原因と受け止められました。

現在の規定では、医師は例外的な場合を除いて、センター外に出る義務はなく、センターのドアを入るまで、救命を施すのは救急救命士の役割です。

問題の時間に勤務していた医師や看護婦が全員救急センター内部で治療に追われており、外に出てこの男性に手当てを施す余地がなかったとしたら、規定に照らしても、医師らの対応に落ち度はなかったわけです。

医師や看護婦である前に一人の人間であるはず。規定にがんじがらめになって、数メートルはなれたところにいる緊急患者を、その能力があるのに助けようとしなかったら、人命救助を怠ったことにならないか、というのがマスコミの主な論調です。

我が家の近くには公立病院が二つもあり、友人やご近所で、病院関係者がたくさんいます。そのため、救急救命センターの勤務が、国の人件費削減で、極限状態の厳しいものになっているのを知っています。

今回の事件では、国の医療政策・イタリア特有の非能率的な指揮系統もあります。バス運転手が良かれと思ってした判断が、かえってあだになってしまった、皮肉な不運にも見舞われました。


複雑で微妙な問題です。倫理感や近視眼的な批判で全国の救急医療現場をひとくくりには語れない、と思います。非人間的な条件の中で良心的に働く医師や職員もたくさんいるはず。

救急救命センターの制度全体の改善の一環として、医師や勤務者の判断を尊重するいっそう柔軟な規定を盛り込もう、という方向に向かっているようです。一瞬の判断ミスが致命的な救急医療の現場で、ミスが出れば現場の失態、という責任回避策にならなければいいのですが。

全てに原因があるようで、誰も責任を取らない。死亡した男性の家族は、怒りをどこへ向けて良いかわからず、やりきれないきもちでしょう。

Novita (最新情報) | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

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