イタリア言の葉

2年半ぶりに再開しました。イタリア生活22年のフリー通訳・翻訳者が北東の町パドバより発信する「社会派」ブログ

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2007年ノーベル賞受賞のイタリア系アメリカ人教授

2007年度のノーベル医学生理学賞は「マウスを使ったES細胞の研究実験=(ricerca sui cambiamenti genetici nei topi e cela a stento l’emozione」に対する功績を評価して、ユタ大学教授Mario Capecchi(マリオ・カペッキ)ら米英の3教授が受賞しました。

カペッキ教授はロミオとジュリエットの舞台となった北イタリアのVerona(ヴェローナ)生まれとあって、こちらでは教授の波乱万丈の幼少期が大きく報じられました。

マリオ・カペッキはこんな人物(Corriere della Sera)
ノーベル賞で貧困に苦しんだ幼少期が報われた(La Stampa)

といった見出しが新聞を飾り、TVやラジオのニュースでも報道されました。本国アメリカでは受賞のニュースはイタリアほど大きく取り上げられていない、という記載もありました。

さて、カペッキ教授の幼少期は物語を読むようにドラマチックです。

イタリア人で航空パイロットだった父親は第二次世界大戦中に戦死。米国人の画家とドイツ人の考古学者の間に生まれ反戦詩人だった母親は、1941年にナチスにより戦犯として逮捕され、ダッハウの強制収容所送りに。

母親が連行されたとき、後年のカペッキ教授=マリオはわずか4歳半でした。一人で取り残されたマリオは、北イタリアの町を転々としながら、浮浪児として何とか生きのびることだけを考えます。

終戦で強制収容所から戻ってきた母親が、栄養失調で衰弱しきったマリオを病院のベッドに探し当てたのは、マリオが9歳を迎える誕生日の当日だったそうです。

ベローナで戦後の一年半を過ごした後、フィラデルフィア大学で物理学教授をしていた叔父を頼って、母親と共にアメリカへ移住することになります。

マリオが教育を受け始めたのはアメリカへ渡ってからのこと。既に10歳を超えてからということになります。

新聞記事は、カペッキ教授がどれほど優れた頭脳に恵まれていたとしても、あのままイタリアに残っていたら、現在の業績もノーベル賞受賞もなかっただろう、という記述で結ばれています。

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